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備中を美味しく食べよう倶楽部 高梁市

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松野夏子 
2015年の夏に、横浜から岡山のこの地へ移住してきました。大都会から、高梁市内でも”田舎”と言われる標高400mの里山「宇治」へ。
現在、高梁市宇治町「旧西仲田邸」でのグランドオープンに向けて準備中です!  HP

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西原千織(にしはらちおり)
高梁市地域おこし協力隊
備中の食文化をみなさんと楽しみながら学びたいと思います!  FB

​高梁市レシピ  

crickするとレシピページが開きます。ダウンロードしてご覧ください。

テーマ「高梁流 クリスマスパーティ料理」

​料理教教室 12/1 川上町学習センター調理室

刺身こんにゃくのカルパッチョゆずドレッシング 

もち麦のピラフ  ジビエのミートローフ       

鶏肉と根菜のポトフ パンプキンポテト

                   

高梁市

●地形の特徴

高梁市内を中心とした川上町、備中町、成羽町、宇治町では高原上に村が開け標高五〇〇メートル~六五〇メートルの「吉備高原面」が発達しています。稜線や山頂の高度がだいたい揃っていて浸食された小起伏が発達し多短谷(数多くの短い谷が樹枝状にある)の地形をしています。なかでも高梁川の支流 成羽川の流域は吉備高原を数百メートルもV字状に深く削り込み、川は穿入曲流となり峡谷地形となっています。この地域は吉備高原の準平原や浸食小起伏面の形成過程を考察する上で日本における代表的なモデル地域なのです。川上町高山付近には東半部に標高四五〇メートル前後の小起伏面が発達し、比高一五〇メートルの急斜面が高原を取り巻き、この地域は吉備高原の小起伏面が最も発達したところで、地形学では「川上層」と名付けています。この小起伏面には、山砂利層といわれる礫層(高瀬層ともいう)が分布しています。隆起準平原の高原には須子山(五二一・七メートル)や弥高山(六五三・六メートル)が飛び抜けていて、前輪廻の残丘といわれ、基盤の岩石は玄武岩に貫かれ、八〇〇万年前の古生代のもので浸食によって表面がなだらかになっています。地形図(五万分の一・図幅「油木」)で見ると、備中町の平川や布賀、そして川上町の七地、成羽町長地付近に極めて広い小起伏の平坦面があります。これらの隆起準平原はいずれも高梁川の支谷によって開析されています。隆起準平原面は平坦で浸食を受けた丘陵が波状にうねって続いています。発達した「吉備高原面」のクボ(谷)は耕地に利用され、山の部分の微高地は、浸食されている面で、クボになった谷は浸食された土砂で埋められた堆積面で、吉備高原特有の地形が見られるのです。山の部分は赤土が多く畑作が行われ、クボの部分は黒土が多く水田に利用され、「迫」とか「窪」、丘の高いところは「空」「ソネ」などの地名が多いのが「吉備高原面」の特色なのです。このような高原の地形を「野呂地形」と呼んでいます。備中町、川上町、成羽町の高原の地域は生活の舞台はほとんど高原上にあり、高原と河岸場を人馬で往来し、物資の輸送をしていたのです。高原の平坦面上には道路が発達し集落が散在しています。この高原上の道は「野呂の道」といわれました。例えば東油野と下の田原の河岸場への道、平川から惣田や井川への道、布賀から黒鳥の河岸場への道などがあって、物資は河岸場から船積みし下流へ運んでいました。「野呂の道」は生活を支える道でした。
 吉備高原は起伏の少ない老年状の山地で、五〇〇メートル~六〇〇メートル広がる高原面は、中新世末期に形成されただろうといわれているのです。「吉備高原」とは地理学や地形学の用語で、専門家によって岡山県一帯から広島県に広がる地形なので「吉備の国」の吉備をとって名付けられたものです。

●気候の特徴

気候の特徴は、年間を通じて霧の発生が多く高原部の一部では積雪も見られます。
また、高原部では、昼夜の温度差が大きいものの低地部は比較的温和な気候に恵まれ、年間平均気温は14℃前後で、雨量は年間平均1200ミリメートル~1500ミリメートル程度です。

 

●歴史的背景

古来「備中の国」として中核を占め、近世では幕藩体制のもとに松山藩を中心として、
また近代以降においても政治、経済、教育の中心地として栄え、今日に至っている。

江戸時代、四国の伊予松山藩に対し備中松山藩とよばれていたが、戊辰戦争において備中では旧幕府軍につき、いっぽう伊予側は新政府軍についた。そのため明治維新後の廃藩置県では伊予松山藩を松山藩とし、備中松山藩は高梁藩と呼称を改められて現在の高梁市の前身となった。
古代 - 現市域の高梁川以東の大部分は賀陽郡、以西の大部分は下道郡(時期によっては小田郡・後月郡も混在)であった。のちに東部は上房郡・西部は川上郡として分立。
江戸時代 - 備中松山藩・成羽藩が成立し、城下町・陣屋町が形成される。
1871年(明治4年) - 廃藩置県により高梁県・成羽県となる。
1871年(明治4年)11月15日 - 備中・備後の11県が統合して深津県(小田県)が設置される。
1875年(明治8年)12月10日 - 小田県が岡山県に統合される。

●産業の歴史

高梁の歴史的な産業は、農業である。明治初期の農業生産で、水稲は農業生産の主たる位置を占めていたが、生産力は低かった。稲に次ぐ主要作物は麦で、大麦、裸麦は自給用で、小麦は商品化した。畑作、水田裏作を通じて、明治三十年ごろが最高。
戦後、農業の他に、畜産、たばこ、養蚕、製糸業が盛んになる。家内工業として、麦稈真田紐製造業が盛んとなり、輸出工業品として、経木モールやソーイングバスケット、経木・麦稈帽子、竹製雑貨の製造などがある。

●現在の状況(人口、年齢層、産業、教育、観光など)

高梁市の人口と世帯(平成30年7月末現在)
人 口 : 30,901人 (前月との差  -51人)うち外国人772人

産業
陶芸(塩田焼、ベンガラ焼) 農業 ブドウ(ニューピオーネ、瀬戸ジャイアンツ、シャインマスカット等)
トマト シャクヤク 茶(緑茶、紅茶) 備中牛

観光

城下町
備中松山城 頼久寺(臨済宗永源寺派の寺院で、愛宕山を借景とした日本庭園がある)
石火矢町ふるさと村(武家屋敷街で県指定の町並み保存地区) 紺屋川筋(備中松山城の旧外堀で日本の道100選)
高梁基督教会堂(現存する岡山県内最古の教会で県の史跡) 松連寺
吹屋(重要伝統的建造物群保存地区) 笹畝坑道 ベンガラ館 旧高梁市立吹屋小学校
広兼邸 西江邸 旧片山邸 延命寺 臥牛山 弥高山 磐窟渓・磐窟洞(いわやけい・いわやどう)
大賀デッケン 羽山渓 うかん常山公園 鶴首城


 

ミントの葉

料理背景

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刺身こんにゃくのカルパッチョ

ゆずドレッシング高梁では、畑でコンニャク芋を作り、ご家庭でもからコンニャクを手作りする方も多くいらっしゃいます。一般的なコンニャクよりも、みずみずしく滑らかな口当たりのコンニャクです。また、柚子もたくさん採れ、もち米に柚子を練りこんで作った銘菓「ゆべし」もとても有名です。その他にも、柚子をブレンドした和紅茶や柚子胡椒など、柚子を使った特産品も多く作られています。

もち麦のピラフ

近年、穀物の中でも食物繊維の含有率が多く、特に水溶性食物繊維が米や小麦に比べて多く含まれているとのことから健康食品として見直されてきている「もち麦」。高梁では、高梁市宇治町の「宇治雑穀研究会」が、耕作放棄地の解消と地域活性化を目的に栽培をし、もち麦を使った商品を次々作り出しています。最近では、もち麦を使った「地ビール」なども開発され、高梁では注目の作物の一つです。

 

ジビエのミートローフ

高梁市でも、田畑の有害鳥獣被害が多く、その対策の一環として有害鳥獣が捕獲されています。今回のイノシシ肉も駆除の目的で捕られたものを、高梁市のNPO「森の番人」の加工施設で、処理加工されたもの。「森の番人」の代表である松森さんは、狩猟を始めて40年以上のキャリアを持ち、松森さんのイノシシ肉は、ジビエ特有の獣臭さがなくとても美味しく、都会のレストランとの取引もあります。有害鳥獣被害は今後、ますます深刻になっていくことが予想されているため、「罠で捕って解体し食べる」一連の作業を若い世代に伝えるサポートをされています。

 

パンプキンポテト

高梁でも、冬になると多くのかぼちゃが出回ります。その中でも、かわいらしくユニークな形でひときわ目を引く「バターナッツかぼちゃ」。ただ、「食べ方がいまいちわからない」「オーブン焼きにする」か、「スープに入れる」くらいの食べ方しか知らない方も多いので、今回はさつまいもを合わせてスイーツを考案していただきました。

鶏肉と根菜のポトフ高梁市川上町では、地元で育てられている鶏肉が地元のスーパーで売られており、とても味わい深い鶏肉です。また、冬になってくると、美味しくなってくる根菜類。ゴボウはとても太くて味がしっかりしています。たまねぎ、ねぎ、カブは煮るととてもとろとろと甘くなります。そして、サトイモはただ煮るだけでねっとりと滋味深い味わい。地元の方々か丹精こめて作ってくださる野菜は、高梁の食の魅力の一つです。

 

​まとめ

高梁市地域おこし協力隊 西原千織

 

◎高梁の食についてリサーチした結果

・伝統料理、郷土料理について地元の方に聞くと、だいたい同じような答え(料理名)が返ってくるが、高梁内でも地域ごとによって微妙な味付けや素材の差はあるようだった。

・基本的に、ほぼ家庭菜園や自給自足の方も多いので、お年寄りは特に外食する文化があまりない。昔からの変わらない料理を好む方も多い。

 

◎レシピの提案について

・12月開催になったので、普段は作らないようなパーティー料理にすると、年末年始の料理に応用でき、喜ばれるのではないかと思った。

・田舎の素材で作ると和食メインになりがちだが、あえて洋食メインにすることで、普段から使っているいつもの食材の可能性を広げられるのではないかと思った。

・高梁で暮らしていておいしいと思っていた素材をふんだんに取り入れたいと思った。

 

◎料理教室をやってみての感想

・普段料理をしない男性から、料理上手な方まで、年齢層も幅広く集まったので、料理を通して様々な交流がうまれ、とてもよかった。

・お料理はどれも大変美味しくて、高梁の野菜、お肉などの質の良さを再確認した。
・こんにゃくカルパッチョなどの発想、柚子ソースの作り方など、プロの技が入ることで、お料理がとても魅力的に美味しくなることに皆さん驚かれていた。

・とても楽しかったです!といってくださった方が多かったので、安心した。

 

◎伝統料理を伝えていくために

・高梁では、伝統料理にとらわれずに、地元の食材をどう生かせばいいのか?がメインとなったため、伝統料理の応用・・・という感じではなかったが、食の新しい魅力を発見するということを通じて、備中の食や、地元の食に目を向けてもらえる良い機会になったと思う。伝統料理でなくとも、何かが伝わっていったり、続いたりする為には、そこに楽しさや面白さがないと難しいと思うので、楽しみながら料理を作り食べることは、とても重要だと思う。今回のように幅広い年齢層や男女問わず、みんなで食や料理を楽しむことが、伝統料理、現代料理にかかわらず、続けていくことの第一歩となるように感じた。

高梁市地域おこし協力隊 松野夏子

 

◆高梁の食についてリサーチした結果

移住して4年目になるが、まず高梁は外食文化が余りない。

それでいて市内に数少ない飲食店でいながら、特に個性がないお店が多い。

また、仲良くして頂いている方々にご飯に呼ばれたりおかずを頂いたりもするが、正直な感想として全体的にお味の特徴がない。(例えば、大阪で言えばこってりだとか、東北で言えば煮込みものがすきとか、北海道で言えば甘党とか。)

大抵の人がお野菜やお米など何かしら自分で作っておられて食材はとても豊かだけれど、お料理?味覚は余り開花していないように感じる。(ごめんなさい!あくまでも私の勝手な感想です!)

 

◆レシピについて

西原と相談の上、クリスマス向きメニューで進めようと方向が決まった。

お年寄りが多いせいもあり、また外食が少ないせいもあるのか、自宅では昔ながらの和食中心の家庭が多いようだったので、慣れ親しんだ素材なら挑戦しやすいかもとあえて洋食メニューを選んだ。

 

◆料理教室を終えての感想

正直、スケジュールや諸々余裕の無い状態で務まるのだろうかと不安だったが、当日は素直に楽しかった!

プロによって親しみ慣れた食材で新しい美味しさを発見出来ました。

ご参加下さった生徒さんも色々で、新鮮な感想から、上級者による更なる提案まで、私自身とても有意義なお時間を頂きました。

後日、私が参加している市役所の健康つくり課が毎月開催している料理教室の中でも「今回のお料理教室に行けなくて残念だった、是非レシピを教えて欲しい」と数名よりお声かけ頂き嬉しかった。

 

◆伝統料理を伝えていくために

殆どが核家族、または独り身で、忙しい社会で食や料理を楽しむ時間が少ない都会と違い、外食産業も少なく、大家族暮らしの多い高梁。

正直、お婆ちゃんやお母さんから直接家事などを教われる環境の多い土地では、わざわざかしこまらずとももっと伝統があるものだと思っていた。

が、当たり前にあるものにはなかなか気付けないのかも知れないな と、改めて思った。

そして、「母の味」がその家庭の伝統料理となるように、いつかもっと「高梁の味」が出来たらいいなと思った。

今回の教室では、“食”に興味をもつ老若男女多種多彩な経歴の方々と意見交流しながら調理することで、こうやって皆で意見を出し合いながらいつか新しい高梁の味が作られていったら面白いなと感じた。

講師 村田裕子

高梁では、リーダーが地域おこし隊であり、早い時点でのリサーチに取り組み、客観的に地域を分析、明確な方向性をともに共有できた。

 食材はほかの地域同様に選択肢は多岐にわたったが、地元色豊かな食材を重点的に絞り込み、刺身こんにゃく、ジビエ、鶏肉、バターナッツかぼちゃ、芋、根菜、ゆずなどを使用。
 地元の食材を使用するとどうしても和食という枠にはまってしまうところ、開催時期が12月であったという理由もあり、パーティ料理を通して、新しい食の魅力を発見することを目標とした。

 郷土料理、特産品を若い世代にも継承していこうとする食講座は、声高に和食オンリーを肯定し、だからといって首都圏ではやりの洋風料理をいたずらにアレンジしただけでは、継続していかない。 

 リサーチの時点でなぜ古くからある食文化が埋もれてしまったのか、その理由を具体的に解明すること、そしてはやりであっても作り方や味付けなどとの距離感も必要となる。

 フットワークもネットワークもすばらしい高梁の若いリーダーたちと、新しい感性を活かした食講座の取り組みができたことは大きな収穫であったと思う。

                                    

備中を美味しく食べよう倶楽部 浅原真弓

高梁市リーダーは地域おこし協力隊のお二人。関東出身というお二人だからこそ

見える高梁の食材について、早くから動いて頂きスムーズに事が行われた。

当初7地区中4地区が秋の食材を使うとの事で、地域性がでるのか心配していたが

今話題となってはいるが、まだまだ流通されにくいジビエ(猪)を使った料理や

新しいかぼちゃバターナッツ、昔から作られている蒟蒻を時期に合わせ、うまく

パーティ料理へと変身させている。

 

地域の食材は良いものがあっても、中々製造やキャパなども問題により、お土産と

しての利用はあっても、普段使いの料理にはなりにくい。

当日は有機栽培野菜の農家も参加してくれ、根野菜の美味しさを新しい感覚でご馳走料理に

なっている。リーダーお二人が食に対する意識の高さから、すべての良い食材が入手

出来た事は料理はレシピとともに大事な要素の1つである。

新見同様、中国道から関西圏への出荷が多いと聞いているが、もっと県南にも良さを

伝える事ができるのではないかと思った。

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